名を、グーリィと言った。

生まれも育ちも定かではない天涯孤独の身の上だった。

気付けば当たり前のようにゴミを漁ってその日暮らしの生活を送り、本をかっぱらって読み書きを覚えた。

やがて知識も身体もそれなりの年になってくると、あちこちを回りながら日雇いの仕事で生計を立てた。

何をするでもなかった。

ただただあちらこちらを歩き続けた。



ある雨の日のことだった。

雨宿りをするような場所もなくただ道を歩いていると、突然声をかけられた。

声の主は老人だった。老人はただ、何処へ行くんだね、と聞いてきた。

「何処へ行く訳でもない」と答えると、じゃあウチへ来んかね、と言ってきた。

断る理由もなく、老人の家へと連れて行かれた。

老人の家に着くと、すぐに体を拭くための毛布を渡され、温かい鍋を振る舞われた。

そしていつしか雨も上がり、グーリィは出て行こうとした。

その後ろ姿に、老人が声をかけた。 行くアテもないなら暫く此処に止まってみんかね、と老人は言った。



老人は昔、それは名の知られた武人であったらしい。

家にはヒマを潰せるような物もなく、また老人も老い先短い己の人生に、何か次へと伝えるものが欲しいと、そう思っていたせいもあったのだろう。

老人はグーリィに槍術を教えた。

老人は老齢ながら鋭い技を繰り出す。武人であったというのも嘘ではなかったのだろう。

グーリィは飲み込みが早く、老人の技を次々と吸収していった。



ある折り、グーリィは家の脇にある倉庫の中を見せてもらった。

かつて使っていたという槍が、倉庫にたくさん置かれていた。

いずれも手入れが行き届いている。

その中で一際異色の、目を引く槍があった。

三つ又に別れた穂先が特徴の槍だ。

これは何か、と聞くと、老人は、トライデントだ、と答えた。

トライデント。その名を繰り返し、グーリィはじっとその槍を見つめていた。

老人は気に入ったのか、と聞いた。グーリィは黙って頷いた。

ならお前さんが大きくなったらくれてやろう、と老人は言った。



しかしグーリィがそこで暮らして1年とたたない内に、そこを出て行くこととなった。

当時のプププランドは王の乱心が原因で各地で戦が頻発しており、その波を受け老人の住む家の近くでも戦が起きた。

此処に居ては戦に巻き込まれる。だから逃げろ、と、老人は言った。

ならば一緒に逃げようとグーリィは言ったが、老人は首を縦には振らなかった。

此処には自分が命を託してきた相棒達がいる。置いて逃げる訳にはいかない、と。

老人はグーリィに一本の槍を渡した。

トライデントだった。グーリィが大人になったら貰うという約束だった物だ。

ここで渡さなけりゃ、俺は嘘っつきになっちまうかもしれん。老人はそう言った。

老人の意志を曲げることは出来ず、結局グーリィは一人でその場を去っていった。

その後老人がどうなったのかを、グーリィが聞くことはなかった。



そうしてグーリィの、一つ目の居場所が消えた。









グーリィが15となった頃だった。

グーリィは、ある土地を治める領主に兵として雇われた。

相も変わらず続く戦で次々と人が倒れてゆき、遂にはこんな子供でも腕がたつなら兵として雇うほど人手が足りなくなってきたのだった。



領主には14となる一人娘がいた。つまりはお嬢様である。

まだ幼いながら大人びた雰囲気の人で、雪のような白い肌に肩までかかる金色の髪がよく栄える、美しい女性だった。

このお嬢様は非常に気さくな人で、小間使いや兵士らにも分け隔てなく接していた。

その為か、周囲の人間には「お嬢」と呼ばれていた。本人もこの呼び方を気に入っていた。

尤も、彼女の親類はこの呼び名にはいい顔をしていなかったが。



そして今、グーリィはこの「お嬢」に恋をしていた。

しかしこの美しく気だてのよいお嬢を恋い慕っている者など数多いることだろう。

何より自分は将来も定かとはならぬ流れ者。お嬢様は将来を保証された人間。

土台無理な恋である。

ただ押し黙ってこの恋が表に出ることのないよう、硬く心を閉ざしていた。



一度、領主の館の門の見張りをしていた時だった。

見張りを交代しようと兵舎へ向かう途中だった。館の方から自分の名を呼ぶ声がする。

振り向くと、お嬢が窓から身を乗り出してこちらに向かって手を振っている。

自分の名を知っていたのか!

喜びで胸がはち切れそうだった。

お嬢は目の前にある花壇から一本、花をとってきて欲しい、と言った。

目の前にある花壇・・・目の前の花壇には、美しい赤い花が一面に咲いていた。

その内一本を取った、が、どうやって届けよう。まさか館に入る訳には・・・

するとお嬢は今は館から出られないから、部屋まで来て、と言った。

そう言われては断る訳にもいかない。

しょうがないから館に入り、人に見咎められる前に早足でお嬢の部屋へと向かった。



途中で迷ったりして少し焦ったが、なんとか部屋の前まで辿り着くことができた。

早速部屋の扉をノックすると、部屋の奥から「どうぞ」と声がかかり、扉が開いた。

お嬢の姿が目の前に現れる。高鳴る心臓を抑えつつ、平常の声を作った。

「失礼します。これをお届けに参りました」

そう言ってグーリィは先程とった赤い花をお嬢に渡した。

「ごめんなさい、無理言ってしまって。最近は物騒だからってお父様が館から出してくれないの。外の庭なら別に心配ないのにね」

出来ればすぐにその場を去りたかった。見咎められるのはまずいし、これ以上赤面する自分を見ていてほしくない。

「本当にありがとう。この花、春の終わりにはまたつぼみになってしまうから」

外は少しずつ日差しが強くなり、春の終わりを感じさせる。

ふと、頭をよぎったことを聞いた。



「この花はなんという花なんですか?」

お嬢は上品に微笑みながら言った。



「イキシアっていうの。綺麗な花でしょう?」











お嬢に贈り物などしたのはその一度きりである。

いや、贈り物、といえば微妙に違うだろうが、それでも自分の手でお嬢に花を贈った。

その事実には変わりがない。

なんとか誰に見られることもなく館を出た後は、もう天にも発てそうなほどに気分が高揚していた。

嬉しくて嬉しくて、笑みを消すのさえ大変で、同僚に変に思われたものだ。

しかし言う訳にはいかない。お嬢を恋い慕う者は兵の中にも多くいるからだ。

自分だけそんなことをしたと知れたら、どうなるかわかったものではない。



それにこんなことをした所で、お嬢に気持ちが伝わる訳でもないのだ。





何時しかその記憶も薄れ、殆ど忘れかけの物となっていった。















時は過ぎて、グーリィは20歳となった。

お嬢はこの時19。五年前よりも更に格別の美人となっていた。

グーリィはまだ決して伝えぬ恋を胸に秘めていたが、同時に別の決意を固めていた。



城を、出て行く決意である。



ここを去り、また元の流れ者に戻るのだ。

目に見え、手に触れられる位置にいながら、ただ見ているだけしか出来ぬ恋。

こんな思いは、膿みやすいということをグーリィは知っていた。

己も人間の男。なにか一つ踏み外してとんでもないことをやってしまうかもしれない。

そんなことはないと、断言できる強い心がグーリィになかった。





いい加減胸にこんな事を閉じこめておくのに疲れたのかもしれない。グーリィは友人にこの思いを打ち明けた。名をケールという。

5年前、此処の兵となったばかりの頃からの付き合いである。

ケールは至極残念そうな、淋しそうな顔をしていたが、同時に得心もしたようであった。

彼もまたお嬢を恋い慕う者の一人だったからだ。

「俺もたまにそんな思いにかられることがあるよ。だが俺は此処を出ちまったら生きていくあてがねえ」

ケールもまた幼い頃から兵士として勤めた者だったが、それ程貧しい暮らしをしていた訳でもなかった。

何をしてでも生き延びるという生き汚さをケールは知らなかった。

「お前さんほど立派な決心ができねえ。情けないもんだ」

「立派な決心なんかじゃないさ。・・・自分の心を信用できない。情けないのは俺だ」

ケールは顔を伏せた。何か考え事をする時に、この友人にはこういう姿勢になる癖があるのをグーリィは知っていた。



「そうか・・・出て行くのか・・・」













その頃になって一つ、穏やかではない話が聞こえてきた。

この領主の館の背後には悠然とそびえる山脈があり、そこに住む山賊達がこの館を狙っているのだ、という話だ。

以前まで戦が続き人心が乱れていたが、今は新たな王が即位しそれも収まってきた。

しかしこの地方はどうもその恩恵を受けるのが遅れているらしい。

おかげで近くでは以前として賊の狼藉などが頻発していた。

この話も、噂で片付けられるような物でもなかった。



そしてその最中で、事は起きたのだ。











グーリィはその晩、物見櫓の上で見張りをしていた。

賊を警戒するため夜も煌々と篝火が焚かれ、館を囲む防壁の内は明るい。

館を囲む防壁の外は、以前暗闇が続くばかりである。

しかし。突如、その中の一点に明かりが灯った。

明かりは少しずつ多くなり、やがてそこに人の塊があることがわかってきた。

近づくにつれ彼らが手に手に弓矢を、剣を、武器を持っていることが見えてくる。とても穏やかではない。

・・・噂は本当だったのか!

警鐘を鳴らそうと思ったが、警鐘は今は櫓の下に置いてあることを思い出した。 早く皆に知らせねば。そう思い櫓を降りたその時だった。

そこに見知った顔があった。

ケールだ。

「ケール、敵襲だ。急いで皆を・・・!」

「わかってるよ。だがその前に一つ用事がある」

篝火に照らされたケールの顔は、それまでに見たこともないほど剣呑なものだった。





「死んじゃあ、くれねえか」

ケールの手から刃が走った。











かわせなかった。あまりに全ては目まぐるしく動いていた。

脇腹に灼熱の痛みが走る。

温かい物が、身体から流れ出るのを感じた。

「ケー・・・ル・・・?」

血とともに力が、意識が抜け出ていくようだった。

視界が暗くなる。

意識が途切れるその直前、





お嬢の姿が、見えた気がした。













地鳴りのような音を聞き目が覚めた。

生きている。血はかなり抜けたようだが、それでも生きていた。

身を起こすと脇に激痛が走った。浅くはない。しかし大事にいたった訳でもなかった。

半身は血に濡れて赤黒く染まっていた。

地鳴りは外、防壁の向こうから聞こえる。

どうやら領主軍と賊達が合戦を始めたらしい。

しかし自分の今の関心はそれには向いていなかった。

ケールが、自分に刃を向けたのだ。

最初は夢と思った。が、やはり斬りつけられた脇腹はひどく痛む。

何故、何故。そんな言葉ばかりが頭を過ぎった。





「生きて、たのか?」

声のした方向を向く。ケールがいた。

ケールはまるで幽霊でも見たかのような顔でグーリィを見た。

が、脇腹を抑えて苦悶の表情を浮かべる姿を見ると、幾分か安心したような顔を見せた。

「ケール、なんでだ」

声が震える。聞かねばならないことだ。しかし聞きたくもない。

何故自分を殺そうとしたのか、などと。

「今夜辺り」

ケールはグーリィの方を見るでもなく言った。そのまま続ける。

「山賊の襲撃があることは知っていた。だからそれに乗じてお前をやっちまえってぇ領主様が言ったのさ。戦場なら、人死にがあっても可笑しくはない。だろ?」

「なぜ・・?」

「グーリィ。お前は長く此処に居すぎたんだよ。もっと早く決断すりゃあ良かったんだ。そうすりゃ命は助かった」

ケールの表情は険しい。射殺すような目でグーリィを見た。

かつての親しさなど欠片も残ってはいなかった。

「だから、なんで」

「そりゃあ、なあ・・・お前」

ケールは笑みを浮かべた。やはり親しさのない、皮肉な笑みだった。

「お嬢は、お前に恋をしてたんだよ。お前が来てからの5年、ずっと」

己の耳を、疑った。







頭が痺れたような感触に襲われた。



お嬢が、恋を・・・?



5年恋い慕って、諦めようとしていた思い人が。



茫然とするグーリィを尻目に、ケールは話し始めた。



「最初は領主様も一時の気の迷いだろうと、そう思っていたらしい。しかし3年経っても4年経っても、お嬢の気持ちは変わらねぇ。

最近になると、何やらシャレにもならんことを考え出したらしい。だから大事になる前にお前さんを殺れってことになったのさ」

「俺はッ」

高ぶった感情が言葉になって溢れた。それで、殺せなどとはあまりに理不尽ではないか。

だって、自分は。

「俺はもうすぐ此処を出て行くと、言った筈だ!」

「ダメなんだ、それじゃあ」

ケールは遮るように言った。

「もうダメなんだよ、出て行くだけじゃあ。いや、逆にそっちの方が良くないことになるかもしれない」

何故。幾度この言葉を繰り返したろう。しかしケールはもう答えない。

「いい具合に山賊が来て、お前が大人しく死んで、後は外に死体を放り投げとけば全部丸く収まったんだ。

けどお前が生きていた。しかも、お前を刺したのをお嬢に見られちまった」

「お嬢は・・どうした」

「おやあ、自分も死にそうなのにお嬢の心配かい。・・お嬢は自分の部屋に閉じこもっちまったよ。ノックしても返事もしない。

せっかくお膳立てが揃ったってのに、これで台無しだよ。だが、いいんだ」



ケールは剣を抜いた。



剣にこびり付いている血が篝火に照らされて、不気味なほど美しい紅に光っていた。



「お前さんが死んでくれればどうにでもなるさ。なあグーリィ、5年苦楽を共にしたよしみで、死んでくれねえか」



5年のよしみ。ケールが俺を殺す役を任されたのはそれがあったからだろう。

・・・それだけだろうか?

本当に、それだけか?





グーリィは背中に負っていたトライデントを構えた。

三つ又の切っ先が緋色に光る。

足にも手にも力が入らない。視界もぼやけ、ともすれば意識が薄れそうになる。

それでも、死ねない。死にたくない。

ケールの剣の腕は決してなまくら等ではないのをグーリィは知っていた。あまりに分の悪い戦いだ。

しかし・・・こうなればもう腹をくくって、この相棒に命を託すだけだ。

(頼んだぞ)



そう、心の中で物言わぬ相棒に語りかけた。















グーリィは駆けていった。館の中を。

全身を己のとも他の誰かのともつかぬ血に染めて。

目指していたのは、お嬢の部屋だ。



・・・殺した。

殺したのだ。かつての、友を。

もう此処にはいられない。

すぐにでも出て行かなければいけない。

だが。

だが、その前に聞きたいことがあった。



<お嬢は、お前に恋をしてたんだよ。お前が来てからの5年、ずっと>




お嬢は自分を思っていたのか?

もし、そうだとしたら・・・

そうだとしたら、自分はどう答えたらいい・・・?







お嬢の部屋の前に立ち、扉をノックした。

返事はない。

しかし返事が来るのを待っている時間がない。

鍵がかかっていればこじ開けてでも入ろうと思ったが、ノブを握ると扉はあっけなく開いた。



そこに、お嬢はいた。

椅子に座っていた。眠っているかのように顔を俯いている。

「お嬢」

声をかけた。

返事はない。

「お嬢?」

眠っているのだろうか?

だったらすぐ近くにベッドがあるのに。

妙に思ってお嬢の体に触れた。

すると。



お嬢の体は重力に抗うこともなく、横に倒れていったのだ。

慌ててグーリィはその体を受け止めた。



次の瞬間、身体が強ばる。

お嬢は口元から胸元にいたるまで、真っ赤に染まっていた。

気付くと同時に血の匂いが立ち込める。

「お嬢・・!?」

よく見ると、喉元に一の字に入った深い傷跡があった。

手には・・・血に濡れた小柄のナイフが、握られていた。

お嬢は、もう息を引き取っていた





自殺。そんな言葉が頭に浮かんだ。



馬鹿な。



何故こんなことを。



もはや全身にかかる痛みのことなど頭にはなかった。

ただ目の前の現実に打ちのめされていた。



ふと、目の前の机に紙が置いてあるのに気付いた。

それは手紙だった。

封もされてない。手紙だけがそのまま置いてあった。

無意識に、その手紙を手に取った。

震える指で丁寧に折られた手紙を開く。

ほっそりとした、綺麗な、しかし震えた字で、その「遺書」は書かれていた。

ごく短い文章だった。









どうして、こんなことになってしまったのか。



私のせいです。



私がもっと早くにこの家を出る決意をしていれば、あの人は死なずに済んだかもしれないのに。



こうなることを知っていながら。



私はあの人を見殺しにしました。



どうかこの愚かな娘を許して下さい。



グーリィ。あなたの元へ行きます











お嬢は知っていた。



グーリィがいずれ殺されることを知っていた。



そうなる前にここを出ようという決心を固めていたのだ。



お嬢は、家を捨てる覚悟をしていた。



生まれ持った身分も暮らしも捨てる覚悟が、お嬢にはあった。



・・・自分には?



流れ者で捨てる物など何もない自分に、お嬢と添い遂げるという覚悟はあったのか?



捨てる物の多すぎるお嬢には覚悟があって、



捨てる物などない自分には、なかった







ハラリと、開いた遺書から何か落ちるのを見た。

押し花だった。

どこかで見たことのある、紅色の花。

押し花を挟む紙に、なにか字が書いてあった。







「14歳、4月、グーリィから」







記憶が、蘇ってきた。

これはかつて自分がお嬢に贈った物だ。

<本当にありがとう。この花、春の終わりにはまたつぼみになってしまうから>

かつて一度だけお嬢にした、贈り物だ。









<この花はなんという花なんですか?>





<イキシアっていうの。綺麗な花でしょう?>









「・・・っははッ・・・」







笑いが、口から漏れた。

何が可笑しいのか。

わかっている。

この愚かな男が可笑しいのだ。

自分は選択を誤った。

これ程に思いが募る前に、お嬢の前から姿を消すべきだった。

あるいは自分の思いを素直にぶつけるべきだった。

そのどちらも自分は選ばなかった。

高嶺の花と思いこんで近づこうともせず、離れることも出来ず。





どちらも選ばないで、ただ自分は───





「ッはははははははぁ・・!」



愛しい。悔しい。情けない。虚しい。そんな思いで心は一杯になっている。



生き延びる為に友を殺した。

そして今、愛しい人を追い詰めて殺した。

どれ程罵倒の言葉を並べても、まだ己には相応しくない。



涙が止まらない。頬を滝のように伝って、流れていく。



それでも口からは狂ったような笑いが止まらない。



二度と目を覚まさない愛しい人の、二度と微笑まない美しい顔を眺めながら、

グーリィはただ泣いて、泣いて、そして笑っていた。









戦は終わった。



一致団結し戦った領主軍の奮闘により、山賊達は這々の体で山脈へと逃げ去っていった。

グーリィはその様子を、領主の館からはかなり離れた小高い丘の上で見ていた。

だがそんな戦の結果など、もうどうでもいいのだ。

気付けば、もう夜は明けようとしていた。





白み始めた空の下、グーリィはボロボロの体を引きずりながら、何処へともなく去っていた・・・













死んでしまえ。

生きてしまえ。



あとは、どうでもいいことだ









グーリィは再び流れ者となった。

いや、もう「グーリィ」ではなくなっていた。

男は名を捨てた。

この忌まわしい思いを名と共に消せる。そんな勘違いをしたのかもしれない。

新しい名は、己の相棒からもらった。

「トライデント」。「トライデント・ナイト」。それが新たな名だ。

この先生きるも死ぬも、この相棒と共にある。

そう、誓った。





トライデントは何処へ行くでもなく、何をするでもなく、ただ放浪し続けていた。

しかし今までの放浪とは、彼の様子は違った。

今までなら、嬉しい時には笑い、理不尽に会えば怒り、不可思議なことに出会えば目を剥いて驚いた。

しかし今彼の顔には何もなかった。

怒りもしない。笑いもしない。涙も流さない。

「無表情」という表情だけが、そこにあった。







そうして1年が経ち、トライデントはある大きな城の前へ来ていた。

別にそこに大事な用がある訳でもなし。

ただここで何か仕事を貰って、路銀を稼げたらと、立ち寄った理由はそれだけだった。

最初はただそれだけだったのだ。














そうして今、このデデデ城が自分の「3つ目の居場所」となっている。

すでに以前領主の館に仕え始めた時から11年。館を出て行った時から数えれば6年。

つまり此処に来てもう5年が経った。

5年・・・あの領主の館に仕えていた時間と丁度同じだ。

だからこんなことを思い出したのだろうか・・?

自分が昔のことを思い出すなんて珍しいことだった。



此処にいてまた、新たに仕えるべき主を見つけた。

自分を慕ってくれる者もいる。

自分を慕う人間がいるなど、5年前は考えもしなかった。



・・・お嬢は今もまだ、何処かで自分を待っているのだろうか?



そこにはもしかしたらケールもいるかもしれないな。



そもそも人は死んだら何処へ行くのだろう?



天の国か?地の底か?それはもう、神のみぞ知ることだろう。



しかし一つだけ言えるのは、記憶の人となってしまった今でも、自分はお嬢を恋い慕っているということだ。



この忌まわしの記憶も、同時に、かけがえのない大切な物でもあるのだ。



だから、



時々はこうして思い返して、忘れないようにするというのも、いいのかもしれない。







ふと、外から花の香が風にのってやって来た。



何故かなつかしい香りに思えた。



窓から身を乗り出し、外を眺めてみる。







・・・ああ。そうか。

だからこんなことを思い出したのかもしれない。







外では春の到来を告げるイキシアの花が、春風に撫でられながら、その赤い花びらを開いていた───